18歳で突然経営者になり、すぐに経営危機に直面

突然経験することになった経営、18歳

1978年、父親の急死により縫製工場の経営者になる。
未成年者のため銀行取引には後見人を立てることに。
父親の「感と経験と度胸」(KKD)の経営に慣れている工場のおばちゃんと、データに基づいて少しでも科学的な管理や経営をしたいと考える私と当然のように激突!
しかし、人生経験が遥かに長く、私のオムツを替えたこともあるおばちゃんたちには太刀打ちできず(T T)
高校在学中までの間知っている女性は「花も恥じらいもある乙女」たちだったが、恥じらいのかけらもない自社の女性たちに唖然とした。
このころから、言うことを聞いてくれないおばちゃんたちとの戦いの日々が永く続くことになる。

それでもあきらめずに同じことを言い続けるうちに、少しずつ私の言うことに賛同してくれる人たちが現れるようになってきた。(ここまでかなりの時間を要す、2年ぐらいかかった)

どこの会社でもあることなのかもしれませんが、本来味方である人たちとの戦いの日々が永く続くのは、経営や会社の発展にとって大きなマイナスだったと思います。
「敵は社外にあり!」が通用しない会社がいかに多いことか。
誰が敵なのかわかっていない、戦う相手を間違っている会社が非常に多いように思います。

ただ、経営者の資質向上にはとても良い経験ができたとも思っています。

この当時は、経営革新などという言葉もなく、もちろんIT経営もなにもありません。ITなどという言葉自体ありませんでしたが、経営を前向きに 変化させたいという思いは非常に強かったと思います。 今となって思えば、若い経営者であったことも、経営革新に対する執念のようなものが、すでに芽生えはじめていたと思います。

次第に自分の考えを押し通すようになって、22歳

少しずつ現場を掌握できるようになり数値で経営する方向へ邁進するようになる。
ストップ・ウォッチを持って現場に立ち、測定した時間に基づいて工程編成を行う。
数値至上主義のような偏った経営になりはじめたのではないかと思う。
ここで大事件発生!
数値の管理をどんどん進めるうちに、成果と報酬を一致させたいと考えるようになり、そのままボーナスに反映させることを考えだした。
世間知らずのなせる業で、思いついたことをそのまま実行してしまった。
やったことは、こうだ。工程ごとに標準時間を決めて、秒単価も決める。そして、それぞれ一日作業した総秒数に秒単価を掛けて、出た数字から基本給を引く。これで残った金額をボーナスとして毎日積み上げるのです。
結果。当時の縫製工場としては多額の50万円ほどのボーナスをもらった人と-50万円ほどになった人がいたと思います。
マイナスになった人はしかたがなかったので、5,000円支払いしたと思います。

全社員から連判状を突きつけられる経営危機

当時の私としては、頑張ったことがそのまま報酬になるのは良いことだと思っていたのですが、翌日社員全員の連名で「このままの経営を続けるのであれば全員退職する」と連判状を突きつけられました。縫製工場は社員の熟練が必要で、それまで蓄積した技術を新たな社員が持てるようになるにはかなりの時間を要することになり、品質も効率も現在の水準に達するまでの間に多額の赤字を計上することになり、さらに品質の低下で取引先の信用も失うことになりかねない大変な経営危機になってしまいました。

今は成果主義はかなり浸透してきていますが、当時はそのような社会風土は全くなく、社員の人たちには受け入れ難いものだったのでしょう。
経営者としても、連判状を突きつけられるというのは、かなりのショックで、自分が正しいと思うことを周囲に理解してもらうことの難しさを思い知りました。

連判状事件は自分にとってはかなり大きな衝撃でしたが、一方で、チャレンジすると結果がどうであれ、大きな学びがあることにも気づきはじめてきたのも、このころからだと思います。
下請けの工場は、コスト削減、生産効率アップが至上命題だと考えていたので、人を人として扱っていなかったのかも知れません。

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